時計のような正確な生き方を
おはこんにちばんわ〜
文京区は護国寺の、主真愛教会に通っているリコッタです!
コロナウイルスによる自粛状態は続き、まさかの3度目の春を迎えようとしている今日この頃。
リコッタも割と在宅勤務多めなのですが、全ての時間が地続きになってしまい…。
あれもこれも切り替えが難しい…と感じる日々。
そんな中、我らがテンちゃん。
<12:00>
(むくり。)餌の時間じゃ。(催促スタート)
<18:00>
(むくり。)そろそろ。(催促スタート)
ほぼ時間通り。
それまでどんなに熟睡しているかのようでも、むくり。
ブレることのない絶対的な生き方。
食に対する圧倒的な執着心。
基本的に温和で臆病なのに、餌だけは譲らない姿勢。
食べる機会は余すところなく掴んできた鳥生。
強い、強いぞテンちゃん。
習慣化の強さを垣間見ておる次第。
まるで時計のように正確。
私にとっては文鳥時計に合わせて成り立つコロナ禍自粛ライフである。
ここで思い出した御言葉を。
伝道の書3章1-8節
1天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。
2生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
3殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
4泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
5石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
6捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
7裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
8愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
こちらの聖句を元に、牧師先生が伝えてくださった内容をまとめてみる。
「時が来たならば、状況が悪くてもやらなければならない。
神様は時計のように時を守られる。
だから時を守って、時計のように生きなければ、共にすることができなくなってしまう。
機会が来た時、問題も一緒に来るが、それでもつき進めなければならない。」
時を守るって難しい〜。
でも、時計のように時を掴んで正確に生きてこそ、
得るべきものを得ることができる。
やはり習慣化は最強…。
そして止められない食に対する執着心。
食べることは生きること。ゆえに彼は最強である。
東京都、文京区にある主真愛教会は、
日本一あったかい教会を目指してます!♨️
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